邇保姫神社を中心に

~古老の言い伝えより~

もともとこの仁保にある黄金山一体を仁保島と呼んでいた。
500年~600年前広島湾に浮かぶ全くの島であった。
この島は形も小さく、格好も良くない。見所がある島とは思えない。

ところが、すぐ隣の厳島は、平清盛が西の都を志して社を建て、豊臣(とよとみ)秀(ひで)吉(よし)も五重の塔や千畳閣まで建てたが、あえなくも中途で没し、哀れである。
それでも大物が建てただけあって、日本三景のひとつ・世界遺産になっているが、東の仁保島はだれも手をつけなかったので、有名な島にならずに今日に及んでいる。

しかし、ここも瀬戸内の島だけに、沖を往来する船上より岩間に写す松蔭を賞め、かの名高き小野(おのの)篁(たかむら)(802-851年)の作という

「入海の 二十浦かけて 十島なる 中に香深き 島は七浦」

の歌に見ても、山水明媚なる風景共に世の注目を惹(ひ)き、この辺りを通る人の心を楽しませた事が想像できる。

ここでいう「七浦」とは、本浦・渕崎浦・向灘浦・堀越浦・日宇那浦・丹那浦・大河浦を指している。
現在、黄金山の北側は現在国道2号線が通り盛んに自動車が船にかわり往来するようになっている。

その昔、約1.600年前頃にも神功皇后がこの海道を通られ邪気祓いのため白羽の矢を射られ、香護山に当たり、爾来、爾保都比売神を祀る邇保姫神社が存することとなった。
その後も時間は刻々と過ぎ、今では忘れられてしまった大切なものも多々有る中にも、神社には、あの大火災にも難を逃れたものがある。それは、神様のお側に奉納されていた数点の奉納物である。そのなかに仁保の獅子舞の始まりと継続を示していると思われる獅子頭が残っている。

そのお話をしよう。

昔、仁保住んでいた人々は漁業が主で農業が從であった。
住民は海苔や牡蠣の養殖を見出しており、盛んなときは遠く対馬の方まで船を漕いで魚を上げていた。そんなとき、約400年前のことであるが本浦の漁師(白井屋、上野屋、浜井屋)が時化(しけ)にあい、シナ海まで流された。その時、荒海を漂い流れる唐獅子と金の仏と牡丹の株を拾い上げた。これにより、無事、古城口(現在広島銀行仁保支店あたりにあつた入り江)の浜に帰ることができた。それを3人が分け持つことになり、くじを引いて白井屋は唐獅子、上野屋は金の仏、浜井屋は牡丹の株を保持した。 浜井屋が植えた株は昭和十四年頃まで花を咲かせていたが、今は枯れてなくなり、上野屋も観音寺に金仏を納め安置したしたが、今は何処にあるのかわからない。白井屋は毎夜唐獅子が泣くので、奥歯を抜いて泣くのを止め、邇保姫神
社に寄進した。(今も神社の神様のお側で納められている。)

獅子舞のいわれ

丁度その頃、この仁保島村一帯に悪病がはびこり、村人たちは大いに苦しんだ。
いろいろ手だてをつくしたが悪病は止むところがなかった。
万策つきた村人は『シシが悪霊をくいはらい、村人をすくってくれる』という古くからのいい伝え

【強力な想像上の霊物である獅子が人々の生活をおびやかす悪霊を圧服するという信仰】

に従って、獅子を神社に奉納し、これを持ち出して家々の邪気をはらったところ悪病はたちどころに止んだ」と……以来、悪霊のとりはらい、心身の清めに「シシのはらい、獅子舞」が行われ、特に一年で一番大切な祭「例祭(秋祭り)」を迎える頃に氏子の家一軒一軒を〔みそぎ・はらえ〕の行事として「獅子舞」が定着しました。

従って、邇保姫神社の氏子は獅子が来なければ祭りも来ないとまで言われているものです。

ししまいの地域

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の各町内会、地域と昔からの縁故関係により上東雲町の一部を行います

獅子舞の構成

オカグラ・モトスケ・エビライの三つの舞が連続してストーリーとなる。

この三つの舞は、悪霊や罪、気枯れを 探したり、見つけたり、して、おびき寄せ、食らいつき、ひきちぎり、最後に戸外へ吐き出す姿・所作を表しながら舞い、この舞一連で「獅子舞」となります。

獅子舞当日

当日、氏子は「獅子舞」の訪問前に心身を清め、家の内外を清掃し「獅子」を上座敷に迎え入れ、正座してはらいをうけます。
これで獅子のハライが終わります。

獅子舞をうけて晴れ晴れとした気持ちの中で邇保姫神社の秋祭りにお詣りしたり、行事に参加します。

厳島

いつくしま